出会い

午前中は
週末婚礼音響の打合せに渋谷へ
行ってきました。
今日はいつも通りの10時からでした。
もうあれから一週間なのだなぁと。


帰りは一つ手前の駅で下車後
昨日出来なかった電話の手続きをしに直営店へ。
前もって問合せをして必要な物などを確認して
来店予約もしておきました。
なので、スムーズに事が進むかと思いきや
とても手続きが複雑らしく1時間半ぐらいかかって
しまいました。
しかも家族割引の件で
もう一回行かなければならなくなって
しまいました。


12時に行ったのでお腹ペコペコ。
なかなかお店に入って外食はしないのですが
久しぶりにラーメン屋さんで
「野菜たっぷりタンメン」を食べました。
美味しかった。


帰宅後は
お預かりしてきた婚礼資料のチェックを。



夕食時
食べながら観ていたテレビ番組で
偉人の生い立ちにおける恩師の話をやっていました。


その偉人とは
映画界の巨匠「黒澤明」でした。


自由な発想を元にした教育方針で子供達と接していた
先生におそわっていた黒澤少年。
小学校時代は目立たない存在でいじめられバカに
されていました。


ある日
絵を描く授業で
描いた後皆に見せる事になっていました。
皆は具体的な物や景色を描いていたそうなのですが
黒澤少年は漠然とした絵を描いていました。
その絵を見たみんなは
「何だ〜それ〜」とバカにしました。
でも先生からはその絵を描いた方法を尋ねられ
指で描いた旨を伝えると、先生はとても評価しました。


その他色々な事でも先生から評価を受け
先生からの提案で学級委員長になる事に。
クラスのみんなからも慕われる様になります。
その後、また先生からの提案で
学級副委員長を決めよう、という事になりクラスメイト
の賛成もありやはりあまり目立たない子を指名する事になります。


そしてそのクラスは自由度の高いとても良いクラス
となりました。


子供達は卒業し
月日は流れ
先生はある日とある映画を観に行く事になります。
その最初のテロップには
なんと
演出 黒澤明
脚本 学級副委員長をやった子の名前 
がそれぞれあったそうです。


先生はただただ嬉しくて
涙が溢れ銀幕が霞んでしまっていたそうです。


黒澤監督は後の書に
今の自分があるのは先生との出会いがあったから、
といった事を記しているそうです。


素晴らしい恩師との出会い。


人との出会いで得られた事は
その人の人生の基礎になるのだなぁと。


この番組を一緒に観た長女から
「お父さんはこういう感じの恩師っているの?」
と質問がありました。


そんな私も
今の仕事「音響エンジニア」をやりたいと思った
大きなきっかけを下さった先生がいました。
中学生だった自分にその時は訪れました。
視聴覚委員の委員長と学校放送の機材操作係を
やっていた時にその顧問だった先生との出会い
が今の自分の原点かも知れません。


その先生は
残念ながら60歳台で他界されてしまったのですが
幸いその中学時代に一緒にやっていた後輩達とは
最近ちょくちょく会う事が出来ています。


様々な人との出会い、
また恩師と思える人の存在、
今の自分がある事へのありがたみを感じます。
感謝です。


子供達にも
この様に思える時が訪れる事を
願うばかりです。















.